「あれ、どうしたんだろう。頭がぼやけて何も考えられない・・・」
これまでに経験したことのない感覚に襲われたのは2021年の3月末でした。
私は新聞社に勤めており、紙面に載せる記事を決めたり、記者が出稿してきた記事を編集したりする「編集デスク」という仕事をしています。
当時はちょうど忙しい事件(ネタ)を抱えており、休日でもお構いなしに上司や部下からのチャットがスマートフォンにばんばん流れてくるような状態でした。
その日は夜にチャットを読みながら「また明日から仕事か・・・」とため息をついていたところ、冒頭に述べたように、次第に思考能力が低下していくのがわかりました。
心療内科に行く
「これはまずい。疲れが溜まっているせいだろうか」
焦った私は迷った末に当時の上司に電話をかけ、自分の状態を伝えました。
上司も理解がある人で「とりあえず明日は休んだほうがよい」ということになりましたが、気持ちは落ち着かないままです。
翌日も状況は改善せず、スマホで症状を検索しながら「これはうつ病の一種かもしれない」と思い始めました。
近隣の病院に電話をかけたところ、運よく「本日、診療が可能」とのことでした。
「軽いうつ」と診断される
「軽いうつ病やパニック障害の症状が出ています。仕事の負荷に体が耐え切れなくなったみたいですね」
心療内科で所定の用紙に記入し、症状を口頭で説明したところ、先生からはこんな答えが返ってきました。
「やっぱりそうか・・・」
当時の生活を考えると、「うつ病になってもおかしくない」という奇妙な納得感さえありました。
「夜討ち朝駆け」といった言葉でもよく知られているように、新聞記者の仕事は激務です。
ただ、現場の第一線の取材から離れているはずの編集デスクも担当業界によっては記者時代と変わらない忙しさが続き、当時の私はまさにそのケースでした。
毎朝6時半には起き、他社の新聞や海外のニュースサイトをチェック。自分の新聞に載っていない特ダネを発見した場合は、朝から記者を叩き起こし、夕刊に原稿を書くよう急かします。
夜は終電以降のタクシーでの帰宅が当たり前で、週末も自宅に端末を持って帰り、作業をする日々。
こんな生活が丸1年続いており、思えば体がいつ悲鳴を上げてもおかしくない状態にありました。
長期欠勤は回避
病院で「軽いうつ」と診断されたのち、先生からは「仕事はこれからどうしたいですか?必要なら診断書を書いて、1ヶ月休むといったこともできますが」と聞かれました。
私は迷わず「いえ、可能ならできるだけ出勤したいです」と答えました。
会社でこれまでも精神的な不調で休んだ人を何人か知っていますが、どうやら休んだ後にそのまま長期欠勤になった人が多いようでした。
「自分もそうなったら嫌だ」という恐怖感があったためです。
その後、薬局で何種類か薬をもらい、帰宅。上司に結果を報告すると「とりあえず1週間は休むようにとの指示を受けました。
仕事を肩代わりしてくれる同僚には申し訳ないと思う一方、強いストレスにさらされる地獄のような日々からしばし逃れられるという安堵感を覚えました。
大量の薬を飲む
薬局では5〜6種類ほどの大量の薬をもらいました。不安解消の効果がある薬や、睡眠導入剤などでした。
毎日それを飲み続け、夜は8〜9時間眠る生活を続けた結果、通院のきっかけになった頭の曇りは徐々に晴れていきました。
1週間が過ぎて仕事に復帰した後は、職場に配慮してもらい、仕事の量を通常より減らしてもらいました。
2週間ほどたった後には、体調はほぼ回復。
「図らずもうつになってしまったが、何とか軽症ですみそうだ」と心の中で安堵しました。
ただ、うつというのがそれほど甘い病気でないことを思い知ることになるのはそれから数ヶ月後のことでした。
うつが悪化
うつと診断されてから5ヶ月ほど過ぎた8月中旬。その日も休日でした。
突然、仕事のことで不安で胸が一杯になりました。「現在自分が担当しているコーナーで、今後記事が集まらなかったらどうしよう」。
普段ならすぐ打ち消せるような不安がなかなか消えず、趣味のジョギングで汗を流しても心が休まりません。
今から振り返ると、当時は大きな連載記事を抱え、原稿のチェックや上司からの厳しいダメ出しなどで常に緊張を強いられるような状態が1〜2週間ほど続いていました。
これまでの会社生活ならごく普通の日常でしたが、うつ病の身体にはどうやら大きな負担となっていたようです。
1ヶ月に一度は通院し、薬は飲み続けていたのですが、それを飲んでも今回の不安は治りません。
たまらず、翌日に再び心療内科の門を叩くことになりました。
次回に続く。
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