頑張ることを「あきらめる練習」

体調のこと

うつ病を抱えている私は、以前のようにバリバリ働けない状況にいます。

つい1年ちょっと前までは、朝5時前まで半分徹夜状態で記事を編集したり、土日も自宅に端末を持ち帰ってサービス残業をするのが当たり前の生活でした。

4年間の海外特派員時代を含め、私は20年以上もそんな働き方をしてきました。自分の実力が足りない分は、人よりも時間をかけてカバーする。それが当たり前だと思ってきました。

ただ、うつ病にかかったことにより、私はそうした発想を根本から転換することを迫られています。

頑張れないつらさ

「早く以前のように仕事ができるような身体に戻りたい」。

そんなことを妻に話すと、決まって「あんな異常な状況に戻りたいという発想自体が間違っている」と叱られます。

でも、私のようにこれまで「仕事の成功=人生の成功」と考えて生きてきた人間にとっては、「仕事を頑張れない」ということは本当につらく、みじめなことだという思いがなかなか頭から消えません。

うつが悪化した直後は、生きがいややりがいを失い、半ば抜け殻のような状態でした。

就職浪人だったころ

私は学生時代、一度就職浪人をして、現在の新聞社に入社しました。

1年目もマスコミを志望して就職活動をしたものの、思うような結果が残せませんでした。

それでも再チャレンジしたのは「報道を通じて日本や世界を良くしたい。自分の書いた記事を通じて、世界で戦えるようなリーダーシップや志を持った日本人を一人でも多く増やしたい」という、何度も考え抜いて描いた夢が捨てきれなかったためです。

運良く結果が出て、晴れて新聞記者になったわけですが、あまり優秀でない自分でも何とかやってこれたのはひとえに「他の人よりも時間をかけて頑張ったこと」だと思っています。

ただ現在は、そうしたやり方が精神的・肉体的にも通用しない状況にあります。

置いていかれるみじめさ

「身体が自らドクターストップをかけている状態です。もしうつ病になっていなかったら、将来、もっと大きな病気をしていたかもしれませんよ」

心療内科の先生からはそんな説明を受けました。確かにそうかもしれません。

でも会社に出勤すれば、あまり健康体とは言えないものの、バリバリ仕事をこなしている同期や後輩たちとの落差を否応なく感じさせられます。

置いていかれるみじめさにも最近は多少は慣れてきましたが、寂しい気持ちはなかなか消えません。

あきらめ=リセット

「こんな気持ちから何とか抜け出したい。何か良い方法はないだろうか」

そんなことを日々、考えていたときに、「うつとの向き合い方」と書かれたネットのページで「あきらめることを覚える」と書かれた説明を見つけました。

「あきらめは絶望でなくリセットです。これまでの自分を見つめ直し、負担になっている目標や目的をあきらめることも考えてみましょう」

これは私にとって1つの発見でした。これまでは「あきらめ=敗北」としかとらえていませんでしたが、こうした考え方もあるのだというのが少し腹落ちしました。

書籍を購入する

「よし。目標をうまくあきらめられる方法を探そう」

そう思い立ち、ネットで「あきらめる方法」などと検索するうちに出会ったのが、「あきらめる練習」(名取芳彦著、SB新書)という書籍でした。早速、ネットで購入し、読んでみました。

内容は必ずしも私の悩みにすべて答えてくれるというものではありませんでしたが、以下の一節が心にグッと響きました。

・「諦める」は、最後までやらずに途中で投げ出すという意味で使われがち。でも、仏教ではかならずしもネガティブな言葉ではなく、物事の本質を明らかにする、つまり「明らめる」の意味を含めた前向きな言葉なのです。

これは私にとってかなり目から鱗が落ちる思いでした。「あきらめることで必ずしも卑屈になる必要はない。前向きなあきらめというものも存在するのだ」という思いにさせてくれる一節でした。

・悩みや境遇、負の感情などを積極的に「諦める」ことで、心の重荷は軽くなり、新たな一歩を踏み出すことができ、人生は好転するのです。

・病気と出合うのも何かの「ご縁」です。病にかかったことを諦めて、しっかり前向きに受け止めるのが大事です。

といったような部分も私の心を軽くしてくれました。

これまでの生き方を「あきらめる」

おそらく今の私に求められているものは、仕事=人生といったこれまでの生き方(価値観)の多くをあきらめて、新たな道を探すことなのだろうと感じています。

例えば仕事でも、以前のように長時間働けない部署や業務であっても、「報道を通じて日本や世界を良くしたい」という自分の目標は実現できるのではないか。

決して簡単に納得できるとは考えていませんが、時間をかけてそうした道を探っていきたいと思っています。

最後に、最近私がとても好きになった和歌を一首、紹介します。有名な一休和尚の作と伝えられているそうです。

「分け登る 麓(ふもと)の道は 多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」

「ふもとから山を登っていく道はいろいろあるが、最終的には頂上で同じ月を見ることができる」。すなわち、「入口となる宗教はいろいろあっても、最終的に到達する境地は同じである」ということを説いたものだとされています。

私も「仕事=人生でバリバリ働く」という道はあきらめざるを得ないものの、違うやり方で人生の目標に到達できればと思っています。

「うつになって良かったと思える人生を送る」。心からそう思える日が来ることを願ってやみません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました